ドラマ「セックス・アンド・ザ・シティ」が描く独身女性像

 アメリカのケーブルテレビ局HBOは、1998年から2004年にかけて「セックス・アンド・ザ・シティ」(以下SATC)という独身女性を主要登場人物としたドラマを放送した。このドラマが描く独身女性像とはどのようなものなのだろうか。本稿ではSATCが描く独身女性像を、メッセージ分析を通して明らかにし、アメリカにおけるドラマの社会的意義について考察を行った。

 まず第一章では、従来までのメディアのジェンダー・メッセージ分析を概観し、反省点の指摘と近年新たに唱えられている視点について述べた。従来の女性学の視点からの分析は、マス・コミュニケーションの効果研究の立場からメディア批判を行っていたが、近年メディアのジェンダー・メッセージが持つ効果を批判の根拠にすることに対し、議論が起こっている。そこで指摘されるのは、あるジェンダー・メッセージが作られる背景を問うこと、そしてそのメッセージがどのような意義を持ちえるのかということである。このような指摘から、ジェンダー・メッセージ分析をする前提として、分析者の立場を明確化することが必要とされる。

 第二章では、まずアメリカの独身女性が過去にどのような扱いを受け、メディアがそれをどのように扱っていたのかを概観した。その歴史の中で、アメリカの独身女性たちはしばしば差別と偏見に満ちた目で見られ、それに対し自立した女性としての地位を確立するために奮闘してきた。メディアは社会の支配的なイデオロギーを支持するような方向に偏り、独身女性を非難するような内容を多く放送してきた。本稿ではこのような内容を踏まえ、SATCに描かれる独身女性を分析する際の方向性を探った。そこで重要な手がかりとなるのは、第三波フェミニズムの視点である。

 第三波フェミニズムは、1990年代になって出てきた新しいフェミニズムといわれる。従来までのフェミニズムは、男性に対し「女性」というカテゴリーを設定し、そこに特定のアイデンティティを付与してきた。しかし、そのアイデンティティから外れるような女性を除外してしまう危険性があった。第三波フェミニズムはそのような状況を批判し、個人のセクシュアリティの多様性を認め、女性の連帯を破壊することを目的とした。本稿ではこの第三波フェミニズムに対し肯定的な立場をとり、SATCと第三波フェミニズムとの関係性を探ることにより、その社会的意義を探った。

 第三章では、具体的にSATCに登場する四人の独身女性像の分析を行い、その結果からSATCが描く独身女性像の考察を行った。そこから、独身という立場に危機感を抱き独身を否定的に捉える状況、独身女性=自立した女性であり「結婚=自由の放棄」とする考え方、仕事を大切にしながら女性の居場所について「家庭<社会」とする考え方、伝統的家父長制に通じるような男女関係の考え方、女性が奔放な性体験や性的にオープンな会話を繰り広げる状況、など、過去の独身女性の歴史の中に見られた状況が四人の女性の性格や言動に散りばめられて表現されていることがわかった。SATCに描かれる女性像はまったく新しいものというわけではない。しかし、四人の女性それぞれが、特に結婚に対してそれぞれの価値観(セクシュアリティ)に基づいた判断を行っており、その四通りのライフスタイルが物語の中で並存しているということができる。

 SATCは主要登場人物の四人の女性像をまとめてみることによって、ドラマの意味が生まれる。それぞれの価値観を否定することもなく、結婚や出産を女性としての義務や幸福とすることもない。その点で、独身女性に対する偏見や差別を生み出す「規範」をあやふやなものにすることに成功しているといえる。第三波フェミニズムが目指すのは個人のセクシュアリティにのっとった、多様な性的規範を認めることである。SATCは第三波フェミニズムが目指す目標の一端を達成していると考えられ、ドラマの社会的な意義はそこに認められるのではないだろうか。これが、本稿の結論である。